互いに素

徒然草の下位互換

本の話をするとしよう

人は何かしらの形で本を読んだことがあるだろう。それはもちろん現代文の授業でもよい。『こころ』でも『羅生門』でもよい。たとえそれが一部であろうと本を読んだという事実には変わりない。

 

しかし人生に影響を与えるほどの本を読んだという経験は少ないのではないだろうか。

 

 

もしこれを読んでいる人がその少数に属していないなら、「所詮他人が書いた本に影響されるなんてばかばかしい」と思ってもおかしくないかもしれない。僕もつい最近までその一人であったからよくわかる。だがそれは違う。

 

人生に影響を与える本は存在する

 

のである。

 

 

たかが本、されど本。

 

本には筆者の知恵、経験、感情が詰まっている。

慎重に言葉が選ばれ、内容を吟味し取捨する。

そんなある種の結晶が本と接する手のひらから、視神経を通じて情報として脳に取り込まれる。

 

テレビなどではよく美談として「恩師の一言が~」というように語られる。

 

一言である人生を変えるのであれば言葉の結晶たる本は人生を変えてしかるべきではないだろうか。

 

では一体私の人生を変えた本とはいったい何だったんだろうか。

 

...

 

その本は”NEO XISTT”

本の主人公は学生であった。

社会に適応せんとして人に合わせることで本音を隠し、親からも教師からも友人からもある程度の支持を持つある意味「勝ち組」に値する人間である。そのように平和な暮らし営み、そしてどこか面白みを感じられずにいた主人公の前に「自称神様」が現れる。その神様が主人公に働きかけることで徐々にあらわになる本音とともに物語は進展していく。

 

ここまで聞いて「ちょっと神様という設定が特殊なものの普通の小説じゃないか。」と思うかもしれないが、そうではない。そのちょっと特殊な「神様」たる存在が普通を普通ならざるものへと昇華させているのである。

 

神様であるが故の生命の軽視、無神経さが主人公の心を染めていく。

科学の存在を否定することなく、生命の起こりは科学であり神などではないという主張。

生命の誕生はその誕生する本人に関わらず他者の一身上の都合であるという思考。

死を決定的に恐怖付けるのは周囲の人間由来の道徳と倫理であるという「神様」によるささやき。

そんな中で生まれてきた自らの意思たる本音さえも隠すお前はいったいなぜ生きようと思うのかという問いかけ。

 

理由が存在しなくないか。

 

提示された主人公が神様によって組み替えられ存在しなくなっていく。

いったい自分が何者なのか、

ふとした不可解なことを組み替えることで思考の道筋を与えてくれる本である。

 

...

 

 

気づけばこの記事を書き始めてから2時間近くが経過していた。貴重な冬休みをまさかブログにささげることになるとは思わなかった。

そういえば”NEO XISTT”なんていう題名なのか、不可解ではないだろうか。

 

Anagrams Generator - Anagram Maker - Online Software Tool

 

少し組み替えたい気分になっただろうか。

 

答え合わせをしよう

 

こんな本は存在しない。

 

Not exist、文字通りであった。

 

存在しないものに冬休みをささげた一人の私に敬礼を。

 

今日も河合塾に行かねばならない。

 

冬休みなど存在しなかったのだ。

 

どうか皆さんは有意義な一日を。